

地域資料の収集・公開
基町の懐かしい写真を中心に、さまざまな地域資料を収集・保存・公開しています。
はじめにお話を伺います
スタッフが、お寄せいただいた写真などを拝見しながら、撮影当時の基町での暮らしのことなどをお聴きします。思い出話などをお聞かせください。
資料をデジタル化し、保存します
収集した地域資料のうち、公開可能な一部資料を常設展示する「基町資料室」を運営しています。基町資料室では、基町に関連する書籍も閲覧可能です。
許可が得られた資料を公開します
毎年夏に、基町での暮らしの移り変わりや、基町高層アパートなど基町の建築を紹介する写真展を開催しています。トークイベントなども行います。
基町にお住まいの方、お住まいだった方へ
基町で撮影された写真を、私たちに見せていただけませんか?
プロジェクト活動拠点M98にてお待ちしています
電話 082 - 555 - 8250
休場日:月曜・火曜・水曜(原則)
OPEN:12:00–17:00
イベントなどにより臨時休場することがあります。ご来場になる前に、基町プロジェクトM98までお電話(082-555-8250)でご確認いただけると確実です。
基町の地域・建築・歴史
広島市営基町高層アパート
基町住宅地区は、国有地を敷地とし、昭和31~42年度に建設された17棟の中層棟 (管理戸数615戸)及び昭和46~51年度に建設された3棟の高層棟(管理戸数2,769戸)の市営アパートや市営店舗、小学校、保育所、幼稚園などの公共施設で構成されている街です。基町高層アパートは基町住宅地区の象徴的な建物で、広島市内の色々なところから見ることができます。
撮影時期:2018
基町高層アパートの建築について
広島市営基町高層アパートの紹介動画です。動画後半の高層アパート室内シミュレーション映像は、資料調査や現地調査を踏まえて制作されています。
制作:市場悠莉恵、大宅智子、帆前まりな(広島工業大学環境学部建築デザイン学科)地域の魅力
紙屋町まで徒歩約15分
紙屋町まで歩いて行けます。路線バスバス停、アストラムライン城北駅、JR山陽本線新白島駅にも徒歩で行くことができ、公共交通機関の利用が便利です。
旧太田川や広島城が隣接
南には中央公園、西には太田川があり自然豊かな立地です。東には広島城跡があり広島の歴史が感じられる場所でもあります。基町の地名は広島の「基いの町」にちなんでつけられました。
地区周辺に公共施設が集積
地区内には、保育園、幼稚園、小学校、児童館などがあります。周辺に、県立体育館や市立中央図書館、ファミリープール、こども文化科学館、ひろしま美術館などがあります。
住民同士のつながり
自治会加入率はほぼ100%です。見守りや支え合いの活動などが行われています。地域三大行事として、原爆死没者慰霊式典・盆踊り大会、基町地区敬老会、基町町民体育祭があります。
地域の課題
少子高齢化の進展
基町地区の高齢化率は47.4%です。これは広島市全体(25%)の約2倍にあたり、多くの要支援・要介護認定者が居住しています。また、18歳未満の子どもの割合は9.4%です。 (平成31年時点での数字)参考:基町地区活性化計画
建物の老朽化
アパートなど建設から40年以上が経過し、施設の老朽化が進んでいます(高層アパート室内はリニューアルがほぼ完了)。また、あまり利用されていない広場や緑地等が存在しています。
商業・にぎわいの停滞
周辺に商業施設が整備されたことなどにより、市営店舗の利用者が減少しています。また高齢化の進展による担い手不足が一因となり、空き店舗及びシャッターを閉めた店舗が増加。地域のイベントも減少しています。
多様な生活文化の混在
外国にルーツを持つ入居者の方の割合は22.2%です。これは広島市全体(1.6%)の約14倍にあたります。生活習慣の相互理解が必要となっています。(平成31年時点での数字)
広島開基の地、基町の歴史
明治時代よりこの地区は、広島開基の地であることから「基町」と呼ばれるようになりました
築城から軍都広島の中枢へ
1589年(天正17年)、毛利輝元が広島城の築城を開始しました。以降、現在の基町住宅地区周辺には、武家屋敷が広がっていました。
明治以降、基町地区にも軍の施設が次々と設けられ「軍都広島」を象徴する町となりました。1871年(明治4年)、広島城に鎮西鎮台の第一分営が設置され、1894年には大本営が置かれました。参考:広島城ウェブサイト原爆投下と復興都市計画
1945年(昭和20年)8月6日、原子爆弾の投下により、爆心地に近かった基町は壊滅的な被害を受けました。
1946年(昭和21年)、戦後の復興都市計画で、焼け野原となった広大な土地は公共用地(東側は官公庁・病院・学校、西側は公園用地)として計画されました。しかし、戦災者や外地引揚者のために、西側公共用地を住宅地に変更し、応急住宅・木造公営住宅などが建てられました。
戦後復興期
1950〜60年代(昭和20〜40年代)、旧太田川沿いに南北に延びる相生通りには木造のバラックが立ち並び、たびたび火災が発生していました。1956年度(昭和31年度)から1968年度(昭和43年度)にかけて、市と県は、コンクリートで作られた4階建の市営住宅・県営住宅を建設しました。
基町地区再開発事業
しかし、川沿いの民間住宅を含めた基町地区全域の不良住宅の解消はできず、市内他地区の戦災復興が進むにつれ、対照的にこの地区の整備の遅れが目立つようになりました。
そのため、基町西側一帯を改良する「基町地区再開発事業」が行われ、広島市営基町高層アパート・広島県営長寿園高層アパートが完成しました。建築の魅力
基町地区再開発事業で建設された基町高層アパートに施された、様々な工夫
「く」の字型の住棟配置
3棟からなる高層アパートは屏風のように「く」の字に折れ曲がって建っています。こうすることで、各戸の採光条件がよくなり、窓からの視界も広くなっています。また、全体として建物の南側を低く、北側を高くすることで景観にも配慮されています。
Photo. Hashimoto Kensuke
4戸で1ユニットを構成
アパートのエレベーターは、2階ごとに止まるようになっており、上階へは下階の廊下から階段で上がるように設計されています。これにより、上階は両面採光ができて、風通しも良好です。太い躯体に囲まれた4戸で1つのユニットを構成していることが、建物の外観からもわかります。
人工地盤
高層アパートに囲まれている緑地は、人工地盤と呼ばれています。この緑地の下(1階)には基町ショッピングセンターが入っており、その地階には駐車場があります。これと似た建築構造では、坂出市の人工地盤が有名です。十字に見えるのは、ショッピングセンター通路の天窓です。
屋上庭園
地上からは見えませんが、屋上は散策できるほど広い庭園が広がっています。住民の育てる花壇や集会所もあり、とても開放的な空間です。普段屋上庭園は施錠されており、一般には解放されていませんが、建物見学会を行う際に見学できる場合があります。
市営基町アパートに住もう
広島市では、基町アパートに住みながら地域の活性化に携わる大学生や若年世帯の方などを募集しています。写真は参考写真(家族世帯向アパート室内)。時期などにより募集が行われていないことがあります。
お問い合わせ:広島市都市整備局住宅部住宅政策課 基町住宅担当
Tel. 082-504-2457
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